GRATEFUL DEAD に出逢い人生が変わり旅を続けて30年
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古金屋美術館 No.24 (パラオ)
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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「日曜美術館」という番組がテレビであったような気がする。今もやってる?

「古金屋美術館」も「日曜日限定」って知ってた?知る訳ないか?

もう何度もパラオの旅の話を書いたので、書くのをやめようと思ったけど、今日、初めて読む人がおられるかもしれないので書くことにするね。

1979年、アメリカのカリフォルニア州モントレーのカレッジに入れると決まって、アパート探しに行った。留学生のお世話をしている人(秘書)が日本人と知り、その人のアパートに行ったら留守。「どうしよう?」と思っていたら、どこの国の人間かわからない奇妙な3人組がやって来た。「オー、日本人?ゴハン食べる?カム・カム!」と言われた気がする。僕は、ついて行った。「ユー・ノー・パラオ?ゴハン?」元日本だったパラオでは、日本語の単語を使うらしい。2階に上がり彼らの部屋に入ると、「オトウサンのオトウサン、ニホンジン!」とその中の1人が言った。大きいステレオ。★ボブ・マーリー★がかかっていた。初めて聴いたヘンな音楽。「ボン・ダレー!」と教えてくれた。「ボン・カレー?」と聞き返すと、「ノー!ボブ・ダレー!」。それから、パーティが始まった。

「パラオでは、魚が欲しければ港に行けば、OK!果物は、果物がある所に行けばOK! 腹がすいたら、誰かが食べさせてくれる。ラヴ?海岸で・・・・・」と言った。

何と素敵な国だろう。僕は、彼らの隣りの隣りの部屋を借りて2年間住んだ。1979年にサンタ・クルーズにボブ・マーリーが来ると知り、「一緒に行こう!」と誘ったけど、直前に彼らは面倒くさいのか?お金が無いのか?テレビを見たかったのか?本当の理由は、わからないけど、誰も来なかった。彼らに会わなかったら、ボブ・マーリーの音楽に出逢わなかった気がする。一日中、いつ行っても、同じレコードを聴き続ける体験もしなかった気がする。たった3枚のボブ・マーリーのレコードのどれかをいつ行っても聴いていた。レコードを擦(す)り切れる程聴くという意味が初めてわかった気がする。

「いつかパラオに行って、本当に魚が欲しければ港に行けばもらえて、果物ももらえるのか、海岸で愛し合っているのか、確かめたい!」と思っていた。

人口2万人の国。「オトウサンのオトウサンのパラオ人」を探しに行った。彼の名前を、ホテルのフロントで言い、探せるか訊いたら、「ノー・プロブレム(問題ない)!」と言われた。はっ?それも初日。そして簡単に見つかった。電話で話すと怪しかった。「僕、覚えてる?」と言ってもあいまい、いい加減。でも同じ名前。モントレーに行った事がある。僕に会いに来てくれた。僕は、似ているけど年寄りの気がした。パラオ人は、早く年寄りになるだろうか?話してたら違う気がした。証拠写真を見せたら、「オー!僕の息子です。まだ、カリフォルニア。前の奥さんの子供。名前は、〇〇〇 〇〇〇 ジュニア。」と言った。「はっ?ジュニア?」 パラオの人は、オトウサンの名前の後に他の名前があり、息子にはジュニアと付けるらしい。

訳のわからない旅だったけど愉快だった。パラオでこの絵を買った気がする。真ん中あたりの石、見える?大昔、どこかの島からこんなデッカイ石を運んで来たらしい。お金だとか・・・・。

いい絵でしょ!
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古金屋美術館 No.23(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ) 
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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2008年、2年前、僕のブログ読んでいた?読んでないよね。読んでいただいていた方には、同じ話になると思います。ゴメンね!

「1978年から2009年まで、毎年1回以上、海外を30年間旅していた!」って、威張っていたのは、誰だ?

「古金屋じゃないの?今年、行ったの?行かなかったでしょ!もう威張れないんじゃない?」

「そうです。古金屋です。ついに今年、行きませんでした。1978年から毎年、パスポートに出入国の判を押してもらうマニアでしたが・・・・・。その代わり、ebay オークションにハマり、★『ブルース・フォー・アラー』・世界各国のレコード・CD・カセットテープ・その他・何でも・マニア★になりました。」

「エライ?残念?バカ?」


「旅仲間」がいるって書いたことあるんだけど・・・・。知らないよね?2008年の春、オーストラリアのパースに行くツアーを申し込んでいたら、直前になってツアーが成立しなくて中止。「それじゃあ、どこか違う所に行こうか?」ということになって・・・・・。「クロアチアが世界で一番美しかった。」とソ連のツアーで一緒だったオバサマが言っていた事を思い出して、パソコンで調べていたらありました。パチ!パチ!パチ!(拍手)「自由旅行」で安くて、行ってみたかった国 ★ボスニア・ヘルツェゴヴィナ★ 付き。ナイス!一緒に行っていた旅仲間に、「ボスニアはどう?」って訊いたら行く気配無し。

僕は、何も考えず、出発1週間前に「行けるかどうか?」を、旅行代理店に訊いてみた。「飛行機、ホテル、列車、バスが満席かどうかチェックします。」と言われた。ノー・プロブレム(問題無し)。即、入金。予約完了。

トルコの「飛んでイスタンブール」の空港で相当な時間を待ち、乗り継ぎボスニア・ヘルツェゴヴィナへ。サラエヴォに着いて、安宿までタクシーで行き、外を歩いた初日の出来事。旧市街で雨になり、傘を露店で買った時、泥棒をするという噂のロマ(ジプシー)のカップルが来た。僕は、差別しない男。にこやかに挨拶。エライ!

ホテルに帰って、夜、シャワーを浴びる前、僕は気付いた。「お金がナイ!」「財布がナイ!」「どうした?」

日本で、何も自信の無い男、古金屋。自信があるとすれば、「海外で自由に歩ける!どんな国でも恐くない!アメリカにも住んでいたもんね。50ヶ国くらいは歩いた。」という事だった。

ヤラれたその夜、一瞬にして、恐くなった。アメリカ、ヨーロッパ、アジアなら恐くなかった気がする。暗い安ホテルの明かり、雨のサラエヴォ、笑わない市民、疑う目をする店員、バスに乗って来る怪しい男。そんな第一印象の土地での初日の出来事だった。

サラエヴォから一般人の乗るバスで3時間以上かかって、逃げるようにして到着した街、モスタル。死んだように、素敵なホテルで寝て、次の日、散歩。急に下痢。喫茶店のトイレに直行。水の流し方がわからず。ウェイトレスを呼んで訊いて、即、水で流した。安い旅。自由旅行。保証無し。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出国するまで(クロアチア到着まで)、もう一度、バスに乗る前に、世界遺産というこの橋(本当は美しい)を見に行き、この絵を買った。

どう、この絵?
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古金屋美術館 No.22 (ヨーロッパ)
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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1982年末〜1983年1月に、インド、ネパール、タイにプチ放浪に行ったのを話したよね。その前にアメリカに住んでいて、一人旅をしたこともあった。

「それが、どうしたの?」と訊(き)かれるだろう。僕は、危険なアメリカと汚いインドを旅して自信を持っていた。「若い」って、バカだね。「若い」って素敵(すてき)だね。

「ヨーロッパに行こう!」 1ヶ月に4万円を貯金したら、1年で48万円。23万円くらいの格安チケットがあるらしい。50万円あれば、「ヨーロッパに行けるでしょ!」と勝手に(簡単に)判断していた。「30日間は、プチ放浪が出来る。」と信じていた。

まずは、イギリスだよね!ロック・ファンなら目指すのは、リバプール。ビートルズの生まれた街。オランダまでフェリーで渡り、ドイツへ行けばいい。「日本にやって来て、我が家に寄ってくれたドイツ人の女の子に会おう!文通しているもんね。」ドイツの後は、フランス。僕は、「地球の歩き方」を買って来て計画を立てた。

リュック1つで一人旅。以前にイギリスの旅の話はしたよね?ロンドンでアメリカ英語(日本語英語)が通じない。イギリスの発音(ロンドン独特の英語)が聞き取れない。リバプールにバスでどうにか辿(たど)り着いた。安宿に泊まり、中華料理を食べて、リバプールを歩くと春なのに寒くて寂しかった。何も「リバプールの歩き方」を下調べしなくても、行けばわかると思っていたが、わからず有名な所に行っただけ。「超感動」すると思ったが、そうでもなかった。僕には、ビートルズでは興奮しなかった。

オランダに渡り、寝台列車の中でドイツ人の旅人に会った。オーストラリアに行った帰り。「日本人?初めて、ヒゲを生やしてリュック1つで旅している日本人に会ったよ。カメラを持って団体で旅行している日本人はよく見るけどね。」と言った。僕は、僕の街のユースホステルに泊まっていた女の子が住むケルンを訪れる予定を話した。彼は、「もし時間があれば、僕の家に来てもいい。」と言ってくれた。ナイス!

ケルンでその女の子の家を訪れたら、泊めてくれた。宿代無料。日本を旅していた時、お父さんが亡くなったらしかった。その子のお母さんとドライヴ。ケルンの街で、「ジェリー・ガルシア」・缶バッチを付けた女の子に出逢った。「オオオオオオーーーーー!ユー・ライク・ジェリー?」と僕は訊いた。彼女も「ジェリーが神様!」だった。リバプールより、ビートルズ博物館より、そのジェリーの顔の缶バッチに超感動した。さすが、デッドヘッドでしょ!

汽車で出逢った若者の家に行くと雪が降っていた。もう4月だというのに・・・・。彼は、「友達がオーストリアのウィーンに行くよ。行きたい?」と訊いた。僕は、「もちろん!」と言った。「でも、車の中で寝てもらうようになる。」と言われたが、若い僕は、「ノー・プロブレム(問題ない)!」と言った気がする。何人かの男の子と女の子と旅をした。知らない人の家の床に寝袋で寝たと思う。

彼らと別れ寝台列車でフランスのパリに向かった。パリに着く頃、お金が少なくなっていた。美しいはずのパリだが、貧乏旅では、寒くて言葉の通じない冷たい街。

イギリスに戻り何日か滞在し、シンガポールに寄り一泊して日本に辿り着いた。

1994年旧東欧ツアーで、ウィーンに寄った。同じウィーンだが、安いツアーでも素敵に見えた。ウインナー・コーヒーとチョコレート・ケーキが美味しかった。

僕の初めてのヨーロッパ一人旅は、寒くて腹を冷やしたのか、下痢に悩んだ。今、考えると今以上にバカだった。お金が無くては、美しいヨーロッパは寂しい。でも、ジョン・レノンの小さい頃を知っていると言ったおばあさんに会って、知らない若者の家に泊めてもらい、知らない若者達と車で旅をして、パリでオンボロ・クソボロ・最下層の宿に泊まり、シンガポールに着いたらお金が無くてホテルから一歩も出ずに一泊した旅も良かった気もする。

今年の夏に何ヶ月かかけて、持っているモノを整理していたら、このパッチが出て来た。もう30年近く前のモノだ。今日は、絵じゃなくて、パッチにしました。

またね!
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古金屋美術館 No.21 (中国)
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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僕は、1981年にアメリカから帰って、うちの家に、“Welcome to Japan. I like traveling,too. If you have time,come to see me. (ようこそ、日本へ。僕も旅が好きです。時間があったら、寄って下さい).” と書いた紙を貼(は)った。

当時、近くにユースホステルがあり、ドイツの女の子が貼り紙を見てやった来た。彼女はヨーロッパからソ連まで列車で、ナホトカだったと思うけどナホトカからは船で日本へ渡って来たらしい。次は、「中国に行きたい!」と言った。「1982年3月からに外国人の自由旅行が可能になったらしい。」と教えてくれた。

1984年当時、「中国個人旅行用ビザの代理申請してくれる日本の旅行会社が2社ある!」と、『地球の歩き方('84〜'85版)』 に書いてあった。

僕の同級生(女の人)が、政府主催の団体旅行で中国に行き、「中国は、いい国よ。至(いた)れり尽(つ)くせり。大歓迎された!」と言った。僕は、「行って大丈夫だ!」と思い行く事に決めた。妹に、「インド」と「ヨーロッパ」の旅の話をしていたので、「私も中国に行きたい。」と言い出した。妹を連れて初めて旅することにした。

今日は、中国の絵の写真を載せずに地図にした。上海から桂林まで1600キロ寝台汽車。桂林から成都までボロクソ飛行機。重慶から杭州まで2316キロ寝台汽車。

行きたい所は、桂林。成都近くの楽山大仏。峨眉山(がびさん)。

上海に到着したら、ホテルは無し。どこに行っても、「メイヨー(無いよ)!」の連発。やっと見つかったら40キロか50キロ先。成都だったか、45人部屋。元映画館か何か?男女同室。みんな、咳(せき)をして隔離伝染病院のようだった。

最悪の国(僕にとって)を1985年3月31日〜4月25日まで旅をした。もう2度と個人で行きたくない。庶民は、いい人もいる。でも社会主義国家。お金があっても当時は、ホテルで、「予約が無いと泊まれない!メイヨー!」と上海でゴミのように扱われた。初日から日本に戻りたかった。でも格安航空チケットで帰る日が決まっていたし帰るチケットを買うお金も無い(もちろん当時はクレジットカードは持っていなかった)。

上海から桂林まで33時間ぐらいだったか汽車に乗り疲れ果てた。桂林から小型飛行機に乗ったら落ちそうだった。恐くなり、重慶から再び汽車で杭州へ。74時間くらいだった。乗ったのが夜11時くらいで着いたのは、丸3日過ぎて4日めの午前2時くらいだった。

日本に帰る前、酷い風邪をひき、家に着いたらおしりがが痛くて苦しんだ。病院に行き、説明したら、「腸の検査をしてみましょうか?」と言われ検査をした。当時は、おしりの穴から空気を入れ、バリウムを自転車ポンプのようなモノで入れて検査した気がする。異常無し。

もう旅に行きたくなかったが、次の年、春になったら中国の旅を忘れて、またリュックを背負い旅に出た。プチ放浪。旅の病気だった気がする。

今も、お金を出してまで中国には行きたくないのは、最初の過酷な旅を思い出すからだろう。

中国では安い水墨画とポスターを買って帰った。水墨画は出しているけど、ポスターは筒(つつ)に入れたままだ。

今日は、どう旅をしたか、地図にした。「もう2度と行けない!行かない!お金を貰っても断わる!」

若いっていいね。バカだね!
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古金屋美術館 No.20 (ポーランド)
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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「怪奇現象」って、信じる?「写真を撮ったら、誰かの霊が写った!!」とかテレビで、特集してるけど・・・・。僕は、信じない。

1995年にベルリン(旧西ドイツと旧東ドイツ)に行き、今まで興味のなかった「世界の歴史」に興味を持った。「ヒトラー」「ユダヤ人」。ユダヤ教の生まれた聖地、「嘆きの壁」のある街、エルサレム(イスラエル)に行く事が、ベルリン・プラハ・ブタペストの旅から帰ってからの夢になり、2000年、ミレニアム記念、キリスト生誕2000年記念に実現したって、この前書いたよね。

ベルリン→エルサレムに行ったら、次は、アウシュヴィッツ(ポーランド)のような気がした。

なぜ、ヒトラーは、アウシュヴィッツ強制収用所で、「約150万人のユダヤ人」を虐殺したのだろうか?

アウシュヴィッツ強制収用所に行く前日の夜、僕は興奮していた。スゴい写真が撮れると思っていた。

「ヒトラーがユダヤ人を大虐殺したのは、何か訳があるのだろうか?」「本当にそんな事をしたのだろうか?」 知り合いになった英語教師のユダヤ系アメリカ人がアメリカに帰国する日に、「おばあちゃんは、アウシュヴィッツで亡くなったと最近知ったんだ。」と言っていたけど、どんな所だろうか?

ショパンの故郷のワルシャワ郊外のショパンの生家でピアノコンサートを聴き、世界遺産のクラクフを訪れた。バスで5時間くらいだったが、クラクフに着いて教会みたいな所でカメラの調子がおかしくなった。シャッターが上手く切れない。

当時は、フィルム用のカメラで、アウシュヴィッツ強制収容所用に何本もフィルムを持って行った。ガイドさんの説明より写真に夢中になっていたと思う。亡くなった人の髪、カバン、金歯、ガス室、トイレの撮影に必死だった。

その後すぐに、少し離れたビルケナー強制収容所を訪れた時、カメラのシャッターが切れなくなった。その日、カメラは壊れた。一眼レフのキャノンで良いモノだった。30年近く毎年海外を旅して旅の途中でカメラが壊れた事は1度も無い。クラクフまでのバスの中でカメラを足元に置いていたので揺れて壊れたのかもしれない。

日本に帰ってフィルムをカメラ屋さんに出したら、ほとんど写ってなかった。僕は、霊とか信じていない。不思議だ。

この絵は、ポーランドのどこかで買った。売っている人の妹さんかお姉さんが描いた手描きの絵らしい。その人は、鼻が高かったのでユダヤの人だと思う。

素敵な絵でしょ!
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古金屋美術館 No.19 (イスラエル)
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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トイレの中に飾ってある1枚の絵。「神秘的でしょ?」「怪しいでしょ?」「手のひらに眼のようなモノ?」「月」らしきモノが描かれている。

イスラエル。僕が小さかった頃(1972年5月30日)、連合赤軍がイスラエルの空港でテルアビブ乱射事件を起こした。映像で見た記憶がある。「危険な所」「絶対に行ってはイケナイ国」と思っていた。

ベルリンの旅(1995年)に行ってから、★ユダヤ教・イスラム教・キリスト教★ の生まれた国・聖地・イスラエルに急に行きたくなった。行ったら、少しは、ユダヤ人のことがわかる気がした。結局、行っても何もわからなかったけどね。

「聖地イスラエルの旅」というツアーを見つけて、2000年の春に行った。イエス・キリストの生誕2000年を記念するミレニアム。

ツアー客は、「なぜ、イスラエルに来たのか?」をお互い知りたそうだった。ある知的そうな、20代・自称・作家志望の女性が僕に質問した。その会話がこんな感じだった。

「どうしてイスラエルに来たのですか?」
「GRATEFUL DEAD って知っていますか?」
「グレイトフル・デッド?」
「アメリカのロックバンドなんですよ。」
「知りません。」
「僕は大好きなんです。そのバンドのジェリーは、★僕の神様★ なんです。そのグループのレコードのイスラエル盤が欲しくて探しに来たんですよ。CDでもいいんです。出来れば ★ブルース・フォー・アラー★ というアルバムが欲しいんです。」
「エッ?レコードを探しにイスラエルに来たんですか?信じられない!」

彼女はもう1人の友達(女性)と来ていた。その話の後、完全に僕を軽蔑。それでいいのだ!

僕が見たかったのは ★嘆きの壁★ 。壁に祈るユダヤ人の写真を見て以来、興味を持っていた。「どのくらいの大きさなのか?」「本当に祈っているのか?」

僕は ★嘆きの壁★ を見て感動した。最近、僕の畳の部屋・デッド部屋の壁を ★ブルース・フォー・アラー★ の壁にした。知っているよね。

今、「イスラエルに行け!」と言われても行く勇気はない。何も知らずに ★ブルース・フォー・アラー★・レコードのためには行ったんだよね。結局、CD屋(タワーレコード)の店員に、「レコードは、ないですよ。CDのイスラエル盤?ヘンですね。音の悪いイスラエル盤をイスラエルの人は欲しがりませんよ。日本盤が一番!」と言われた。

去年、ebay オークションで念願のイスラエル盤を発見して手に入れた。ebay オークションを知っていたら、イスラエルに行かなかったかもね?

この絵、何かいいでしょ!
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古金屋美術館 (No.18) ハンガリー
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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1990年春、初めてのツアー(それまでは、バックパッカー、個人旅行)に参加して、ソ連に行った。その時、「オバチャマ」と呼ばれるお金持ちの人がいた。しばらくして、★東欧15ヶ国ツアー???★ というツアーを見つけたので、電話で教えた。「いつか行けなくなるかもしれないので、借金してでも一緒に行こう!」と誘われた。お金を出してもらえれば行っただろうが、借金してまで旅に行かない主義だったので断わった。その後、本当に、ユーゴスラヴィアで内戦が起きて行けなくなった。本当に行けなくなる事なんてあるんだね。

その後、そのオバチャマは、15ヶ国ツアーでないけど、ツアーに入ってクロアチアに行った。「私は世界を回ったけど、クロアチアのアドリア海の都市、ドブロヴニクが世界で一番綺麗だったわ。」と感想を言った。

1995年、中欧(元東欧)のツアーを見つけた。★美しさと感動に出逢う旅<ウィーン・プラハ・ブタペスト・ドレスデン>8日間★

これは、刺繍。ハンガリーで買ったと思う。帰って額に入れた。綺麗(キレイ)でしょ!

このツアーで、★ヒトラー・マニア★・らしき3人の人達に出逢った。僕も1人参加だったが、その人たちも1人参加だった。ベルリンに着いて自由行動の日、その人達と一緒に行動する事にした。「ここで、ヒトラーが自殺したと言われてますが、本当は、○○○○という場所で自殺したという説があるのを知っていますか?」と1人の人が訊(き)くと、「知っています。★ベルリン巡り 三宅悟 (中公新書)★ という本を読みましたか?」と答える。もう1人は、マニアと言えるほど詳しい事は何も知っていなかった。2人の会話を聞いていると、「ドイツ(ベルリン)」、「ヒトラー」、「ユダヤ人」には、何か難解な問題があるという事を知った。

僕は、ヨーロッパの姿は、まだ解放されたばかりの古い建物しかない東欧の気がした。

この旅で、「ヒトラー」を知り、「ユダヤ人」という人達のことが知りたくなった。いつか、ポーランドのアウシュヴィッツと、イスラエルのエルサレムに行きたくなったのだ。


(タケさんのコメント・ブログのコメント返し)
一般人のインド人、インド家庭のことが、わかってきましたよ。旅で会ったインド人は、商売人か、お金を欲しがる人達が中心。汽車で会ってワイワイ騒いだ一般人くらいしか一般人とは接触していません。「インド時間」は、慣れるといいですね。腹の立つことも多いですが・・・・。土曜日のタケさんのインド話は楽しみにしています!
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古金屋美術館 (No.17) ニューカレドニア
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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タケさんは、気付いたらしい!

「何を?」

古金屋が、音源解説から逃避して、新企画 ★デッド・モノ・自慢(自己満足)★ の日を火曜日か金曜日に計画している事を・・・・。

一般人には、意味のないことだが、タケさんは、意味があるらしい。



タケさんのコメントブログ ★はっ?インドって何?★ を読んだ?「これが、インドだ!」って感じがする。アメリカで働いている日本人、中国で働いている日本人、シンガポールで働いた日本人、クゥエートで働いていた日本人の知人はいるが、インドで働いた日本人の知人はいなかった。

それにしても、タケさんのお腹は、スゴ過ぎる!あれだけインドで食べて飲んで、病気にならないなんて・・・・・。また、来週の土曜日は、「インドの話」を楽しみにしてます!



2002年春、「天国にいちばん近い島」と言われていたニューカレドニアを訪れた。僕が学生だった頃、森村桂の「天国にいちばん近い島」という本が売れた。僕は、当時、買って読まなかったが書名だけは印象に残っていた。2000年頃、古本屋で見つけて買った。本当に「天国にいちばん近い島」なのか、自分で確かめてみたくなった。

青い空、白い砂浜を想像して行ったが、行っている間中、大雨だった。驚くほど物価が高かった。買いたいモノもなく、見る所もない退屈な島だった。

僕が、「天国にいちばん近い島」と思ったのは ★奄美大島★ だった。一時期、秋になると「島巡り」をしていた。人の良さ、自然の良さ、黒砂糖の美味しさ、大島紬の美しさ、「奄美ハブセンター」での「ハブ 対 マングース」の戦いショー。 

今、★奄美大島★ が大雨で大災害になっている。テレビで行った所の映像が映った。僕が感じた「天国にいちばん近い島」が、「地獄にいちばん近い島」に見えた。


このニューカレドニアの絵は、砂で作られている。この絵を見ていたら、僕の「天国にいちばん近い島」を思い出した。
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古金屋美術館 (エジプト) No.16
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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企画会社に、電話して話を聞き、「地球の歩き方」(エジプト編)を書きたいと伝えた。

その会社から手紙が届いた。

「下記の原稿お願いいたします。

アブシール       1ページ(400字 2.5枚)
ダフシューム      1ページ
メイドーム        1ページ
エルミニア        2ページ
マラウイ         1ページ
ベニハッサン      2ページ
テルエルアマルナ   3ページ
アビドス         2ページ
デンデラ         2ページ

             合計 15ページ

それぞれの街に、概略、歩き方、見どころ、ホテル、レストラン、地図、行き方などをもりこんで下さい。地図がなければ、手書きでもかまいません。このあたりは、いなか町もあると思います。ホテルがあまりない所では、どのあたりで泊まって、バスはどこで乗って・・・・とはじめて行く旅行者にわかりやすく説明してもらうようお願いします。」


僕は、「どのように行けばいいのでしょうか?」と電話で訊いた。すると、「まだガイドブックがないので、それを調べて来てください。丁度、4月は、砂嵐の季節ですので気をつけて行って下さい。」と言われた。

出発する前に、カイロ公安警察84人が暴動を起こし、外出禁止令が発令されているという報道をテレビのニュースで見て、「大丈夫か?」と心配して、その会社に電話した。

「行って大丈夫でしょうか?」と電話で訊くと、「行ってもらわないと困ります。4月9日に帰国とのお話ですが、4月下旬に編集作業に入りますので、せわしないようですが、4月中旬すぎに原稿をいただきたいと思います。」と言われた。

結局、出発。カイロの空港に降りた外国人は、僕と友人だけ。日本からの団体旅行者はいなかった。

それから、GRATEFUL DEAD の ★ブルース・フォー・アラー★ をレコードからカセットテープに録音したテープを持って行き、カセット・ウォークマンで、聴きながら旅を続けた。

「パピルスに描かれた絵」を記念に買った。最初の絵は、安くて観光客用だった。「バナナの葉に描かれた絵」らしい。

「いくらでもお金はある。1番良い絵を見せてくれ!」と頼んだ。この絵は、本当かどうか知らないが、パピルスに描かれた絵らしい。
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古金屋美術館 (エジプト) No. 15
category: 古金屋美術館 | author: 古金屋
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「地球の歩き方」っていう旅行ガイドブック知ってる?タケさんも「インド編」を持ってインドに行ったらしい。

1982年、知人に、「僕はインドに行く予定です。」と話していたら、その人の友達がインドに行った事があるので、「話を聞きたい?」と言われた。頼んで、その人に会ったら、「地球の歩き方」を買って持って行くように勧められた。当時は、数冊の国の「地球の歩き方」しか出ていなかった。

「地球の歩き方」は、「個人の旅のバイブル」と当時、言われた。反対に、「地球の騙(だま)し方」と書いている文章を読んだことがある。

僕は、「インド編」を持ちインドを旅した。次の年(1984年)、イギリス→オランダ→ドイツ→オーストリア→フランスに行った時、「ヨーロッパ編」で大満足。1985年には、中国に「中国編」を持って行き、約1ヶ月間、彷徨(さまよ)った。25年前、個人旅行解禁直後だった。

1986年、エジプトに行く事にした。その時、「エジプト編」が、出ていなかった。

1985年の年末だったと思うが、東京から里帰りした知人が、「トルコ編」の一部を書いたと言った。僕が、「来春には、エジプトに行くつもりなんだけど、『エジプト編』 が出てないんですよ。」と言うと、「えっ?エジプトに行くの?『エジプト編』 を書かない?今、エジプトに個人旅行している人を探しているらしいんだけど・・・・。」と訊(き)かれた。条件は、「個人旅行をしたことがある。」「『地球の歩き方』を使って旅をしたことがある。」という事だった。

僕は、「書きたい!」と頼んだ。

続きは、もう1枚の絵の写真を載せて書くからね!
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